関西宿泊自主イベント:「サイクルシティ堺」と称される所以を求めて

*開催日:20231110()12()

*参加人数:3

*日程

  1日目:南海堺駅に集合、「シマノ自転車博物館」見学

  2日目:SGN関西支部主催「堺の町をポタリング」に参加

    3日目:観光

 

イベントの様子について、参加者3人が分担してリレーで報告します。

 

イベント一日目 (報告担当:今回も元気に参加された長老NTさん)

新横浜駅の軽快な発車メロディーに送られて「ひかりは西へ」で、新現役ネット関西支部主催の「堺の町をポタリング」に参加することを主目的に大阪を目指しました。

参加者はリーダーのYNさんとFTさん、そして私NTの三人で少々寂しかったことに加えて、YNさんにのっぴきならない用事が発生され一日目夕食時からの合流になられました。

 

そのような中、折角のチャンスを生かして、イベント初日は、堺の町が「サイクルシティ」「自転車の聖地」と称される所以を求めて「シマノ自転車博物館」を見学しました。

生憎の雨で、「自転車ひろば」でのクラシック自転車の試乗などは体験できず残念でしたが、館内のヒストリーシアターでは横長の巨大スクリーンに自転車の歴史をたどる「自転車誕生の歩み」が映し出され、会場内に自転車の黎明期と発展期を知ることが出来る多くの実物の自転車が展示されていて、発明家たちの労苦が偲ばれます。

また世界のシマノならではの自転車部品の実物展示があり、お薦めのサイクルライフの提案もされており、時間の経つのも忘れてしまうほど見所いっぱいの施設でした。

「遠く 速く 楽しく」をテーマとしてのチャリンコ人生を歩み続ける上での良い勉強になりました。

この「シマノ自転車博物館」はサイクリスト必見の施設で、是非またクラブで訪問する機会を作っていただいて、多くの会員のみなさんと共に再訪問したく思います。 

 

時間が余ったので電車を乗り継いで、七五三のお詣りで着飾った子供たちで華やかな雰囲気の住吉大社に参拝。

 

そして夕食は参加者三人揃って大阪名物のひとつ「美々卯のうどんすき」に舌鼓を打ち、翌日のポタリング本番に備えました。


 

イベント二日目 (報告担当:毎度のYN)

この宿泊イベントの主目的のSGN関西支部主催のサイクリング「堺の町をポタリング ~世界遺産の古墳と、堺ゆかりの千利休、与謝野晶子に接する~」への参加です。

少々肌寒さがありましたが前日の雨も上がり、ちらほら青空が見えるまずまずのお天気の下、南海電車の堺駅に地元関西の参加者8人と我々の計11人が集合、電動アシスト車をレンタルして、主催者のKさんから行程や注意事項等の連絡、そしてウォーミングアップの体操(指導はSGNの「東洋医学でセルフケア」の講師で鍼灸師のM先生、勿論東洋医学流のウォーミングアップでした)など出発前の準備を進めました。

 

 

<クリックすると拡大画像が見れます>

ポタリングの最初の訪問先は「仁徳天皇陵古墳」。

現地に駐在されているボランティアガイドさんに世界遺産の古墳群についてと世界三大墳墓の一つの仁徳天皇御陵について説明していただき、日本最大の前方後円墳の前方部に向かって拝礼、そして自転車で古墳の周り2.8㎞をゆっくり自転車散歩(ポタリング)しました。

 

仁徳天皇古墳近くの公園で昼食をとった後「履中天皇陵古墳(日本で三番目に大きい前方後円墳)」、そして「ニサンザイ古墳(全国7番目の大型前方後円墳、誰の墳墓か不明ながら古墳研究上重要な位置づけの古墳として宮内庁が管理。ニサンザイの語源は「陵:みささぎ」と考えられている)を順次巡りました。

 

仁徳天皇陵古墳

午後の走行に向けて!


 

履中天皇御陵とニサンザイ古墳

 

このあとは堺市役所を訪れて21階展望ロビーに上がり、走ってきた古墳やもうしばらく日本一の高さを誇れる「あべのハルカス」、そして大阪湾から神戸の六甲の山並みなどの景色を楽しみました。

 

そして最後の立ち寄り先の堺ゆかりの千利休と与謝野晶子のミュージアム「さかい利晶の杜」まで走り、個々に館内を見学してゆかりの二人に関する知識を深めました。

因みに私は与謝野晶子の出生地が堺だったことは今回のポタリング参加で初めて知りました。

 

夕闇が迫りつつある中、ミュージアムのすぐ近くにある「与謝野晶子生家跡の碑」を見て出発点の堺駅に戻り自転車を返却、最後M先生の指導で東洋医学流クールダウンを行って無事ポタリングが終了しました。

 

 

この後中井貴一・佐々木蔵之介が出演した「嘘八百」のロケが行われたと言う堺駅近くの居酒屋さんに移動をし、ポタリング参加者全員が参加しての懇親会が催されました。

 笑い声が絶えない和気藹々の雰囲気の中で、東京での私たちクラブのサイクリングイベントへのお誘いなどをしながら、関西の参加者みなさんと楽しく交流をしました。

 

イベント三日目(報告担当:入会一年目でイベントへの積極参加をされているFTさん)

自主イベント最終日の今日は気ままな三人でそれぞれ久し振りの通天閣に行きました。

休日ですので思いの外混み合っていて、展望台まで1時間以上待ってやっとたどり着きました。

前日走行した中百舌鳥の古墳の一部が遠望され、もうしばらく日本一の高さを誇る「あべのハルカス」は展望台からも見上げる高さでした。

お昼は新世界通りで名物の「二度づけ禁止の串カツ」、そして新大阪に移動してお土産に「豚饅 551」をこれまた30分以上並んでやっと購入して、新大阪発のひかりに乗車し三人で一杯やりながら三日間の楽しい思い出に浸りながら帰宅しました。

 

YNさん、NTさん、楽しい三日間の自主イベント、ありがとうございました。

 

再び登場のYNです。

最後に今回のイベントのテーマである「堺がサイクルシティと称される所以」について私の研究?結果をレポートしてイベント報告を終わりたいと思います。

 

*多くの古墳が築造されるにあたっては膨大な人力と道具が必要不可欠で、鍬などの道具を作るにあたってはるか当時から優れた鉄の加工技術を持つ職人が多数住むようになり、堺に鉄の加工文化が芽生えた。

 

*16世紀にポルトガルから鉄砲とタバコが伝来したことを契機に、以前から堺の職人が持っていた高度な庖丁鍛冶の技術を生かして鉄砲と、タバコを刻むタバコ庖丁の製造が盛んになり、鉄の加工技術に磨きがかかった。

 

*明治以降に海外から輸入された貸自転車の修理に取り組むようになり、修理のための部品の製造をおこなうになり、加工技術がさらに向上する一方で、各店先に何台もの自転車が並ぶようになり、堺の住人にとって自転車が身近な存在となっていった。

 

*そのような中で資金力・加工技術力のある業者(シマノ)が自転車部品製造メーカーとして大きく羽ばたき世界一の会社になり「サイクルシティ堺」を牽引している。

以上です。