第297回 伊豆下田サイクリング(宿泊イベント)

 

■開 催 日:2023年5月22日(月)~23日(火)

■参 加 者:9人

■開催内容:1日目 サイクリング&ポタリング

      2日目 雨天のため徒歩観光

 

★下田の町

元々下田の町は、江戸に向かう船舶の寄港地として繁栄していました。

そのような中で1853年にペリー率いる黒船艦隊が浦賀沖に来航し、翌年再来日したペリーと日本幕府の間で「日米和親条約」が締結されて、下田の港を開港することが取り決められて、これまでの鎖国から開国への幕府の政策変更の大きい時代流れが下田に押し寄せました。

 

ところでみなさんは「伊豆半島」がユネスコが認定する「世界ジオパーク」の一つであることをご存知ですか(実は私はこのイベントを企画した後色々調べている中で知りました)。

伊豆半島は、約2000万年前は現在地より数百㎞南の火山群の中に出来た火山島がフィリピン海プレートと共に北に移動して約60万円前に本州と衝突して現在のような半島の形になりました。

半島を形成したその後も引き続きプレートによる地殻変動や火山活動が続きその中で美しい景観や温泉、深い海など独特の自然環境が生み出され、ユネスコから「南から来た火山の贈り物」と言うテーマで伊豆半島を「世界ジオパーク」に認定されました。

と言うことで伊豆半島では例えば大室山、浄蓮の滝、多くの温泉地など色々な所に「贈り物」が見られます。

下田でも、豊富な湯量の温泉、白い砂浜の海岸線、一方で波に削られて出来た断崖絶壁の海岸線の景観などの「贈り物」に接することが出来ます。

 

このような下田の町での宿泊イベントについて、参加のみなさんにご協力いただいてリレー形式で報告したいと思います。 

 

 ★★1日目★★

サイクリング概略行程(クリックすると拡大します)

~弁天島で昼食と観光~

・11時45分に伊豆急下田駅に集合。

 駅前で電動アシスト車を借り受け、準備体操、行程等確認を行ってからいよいよイベント開始。

 翌日の天候が悪そうなので当初二日目の行程であった「爪木崎」方面に向かうことになった。

・足慣らしとして河川・海岸沿いをゆっくり走行したのち、直ぐに弁天島の公園の東屋で昼食休憩。

・「弁天島」は吉田松陰が黒船乗船を試みた場所。「島」と名はついていますが陸続きなので橋などはありません。

ジオサイトでもあり、波や海流によって削られた綺麗な縞模様が特徴的な地層が見られます。

・好天下の昼食タイムでは、黒船「ペリー艦隊」が現れた下田湾の景色とともに、湾内遊覧船の往来や

海保巡視船が停泊している様子を一望しながら、磯の香りを感じながらのんびり気分を満喫。

・公園先端には、西洋見聞を志して、黒船による密航を試みて失敗した「吉田松陰と金子重輔の銅像(踏海の朝)」が建てられ、浮かぶ黒船を指差して意を決する二人の姿が表現されています。

・松陰が詠んだとされる 「かくすれば かくなるものと知りながら 已(や)むに已まれぬ 大和魂」の碑文とともに、その当時の心意気や様子が感じられるスポットでもありました。

・弁天島を離れる前には、岬の付け根に現れているジオサイト「弁天島の斜交層理」を見学。

弁天島周辺で見れる縞々の地層は、数百万年前に海底火山から噴出した火山灰や軽石が、波や海流によって運ばれてできた地層で、こうした地層が地殻変動により隆起して地表に現れ、波で削られた場所が弁天島で、斜めに交差する縞模様から「斜交層理」と呼ばれて、静岡県の天然記念物に指定されているそうです。

・もはや、お腹は満たされ、海景色に癒され、歴史、地学も学んだところで、いよいよ本チャンの走りにスタートします。

[YTさん] 


弁天島の「斜交層理」

 

~爪木埼灯台に向けてのサイクリング~

弁天島の手前で国道135号から分岐した県道116号線が、今日の目的地爪木崎灯台への道です。

右手に見えていた下田港から徐々に左方向に離れると道も少し上り坂になり、1.5キロほど先の爪木崎灯台入口のT字路を左折すると、いよいよ坂道サイクリングの始まりです。

といっても、県道は結構広く通る車もほとんどないので、両側に鬱蒼と茂る林の中を森林浴をしながら走る快適なサイクリング路でした。

暑くもなく寒くもなく、電チャリの調子も良く、初めのうちはみんな元気で鼻歌も出そうな雰囲気でしたが、だんだん坂も急になってくるとさすがちょっと休みた〜い!気分。

そんな頃合いに、リーダーが止まってくれたのは、何やら厳重そうなゲートの前で、鉄格子の向こうに見える建物には「〜〜〜詰所」の札が。「須崎御用邸」だそうです。

こんなところに御用邸があるなんて知りませんでした。

ここは私たちが坂道を登りつめたあたりだったので、御用邸はここからずっと海岸まで下る方向にあるのでしょう。鬱蒼とした木々に覆われて、広そう〜。入口からは何も見えませんでした。

ここで一休みしたのち、今度は御用邸の塀に沿って一気にずっとかなりの下り坂。わ〜、気持ちいい! でも、帰りはこの道を登るってわけ?(そう思うとちょっと気分がめげました。) 

あ、途中に「パレスサイドビラ」の看板が。民宿?それともCafé? 笑っちゃいました。

坂を下り切るとパッと視界がひらけ、それまでの薄暗い森林から風景は新緑にキラキラ輝く背丈ほどの木や草の野原に。

今を盛りと輝く木々や草の緑に思わず「わ〜、綺麗!」と叫びたくなるような感動の風景でした。

その先には真っ白にそびえる爪木崎灯台とぐるりと見渡せる美しい海。

ここもほとんど人がいなくて、貸切状態の灯台の手すりに寄りかかってたっぷり風景を楽しみました。

ちょっと霞がかかっていて、晴れていたら見えるという三原山、利島、新島、式根島、神津島などの島々が見えなかったのは残念でした。

ここも「俵磯」と呼ばれる人気のジオスポットで、「柱状節理」というごつごつした感じの岩が見られ、これはこの辺りが海底火山だった頃地下のマグマが地層の間に潜り込んで冷え固まってできたものだそうです。

もう一つの人気ポイントは「恋する灯台」。

このハート型の中に収まって写真を撮ると、2人は末長く幸福になれる…のかな?

帰りは、来る時心配した上り坂もさしたることなく、みんな元気に登りきり、下りきって、お昼ご飯を食べた弁天島近くの立寄り先「玉泉寺」まであっという間にたどり着きました。

往復14kmの快適なサイクリングでした。

 

[KOさん]

 


俵磯の柱状節理

 


爪木崎の磯部で獲れた天草を乾燥させて売っていました

 

~玉泉寺 ハリス資料館見学~

爪木崎からのサイクリングの帰り道に、昼食をした弁天島の近くにある「玉泉寺」に立ち寄りました。

小さいお寺ながら、ペリーが下田に上陸した後の幕末開国史の中で大きい役割を担った「玉泉寺」。

歴史で習ったタウンゼントハリスが初代総領事として着任した日本最初の米国総領事館が置かれたのがこのお寺です。

そして「唐人お吉」と呼ばれる斎藤吉さんの人生を大きく変えるきっかけになったハリスの世話をするために奉公に上がった場所がここ玉泉寺です。

 

境内には渋沢栄一が建立したハリスの日記の一文や渋沢栄一直筆が刻まれた「ハリス顕彰記念碑」や「牛乳の碑」などがあります。

本堂手前横にあるブルーの牛の石版レリーフ「牛乳の碑」は、ハリスが体調を崩した時に薬として近隣の村々から牛乳は求め、2週間で約一升の牛乳を今の金額で15~20万円で購入したと言う古文が残っており、これが日本での牛乳売買の始まりと言われていて、下田出身の森永乳業が記念に建立した碑です。

 

そして境内には、場所は異なりますが米・露の船員のお墓が共存しています。

これは日米、日露それぞれの間で締結された和親条約の中に墓地の提供が謳われており、玉泉寺がそれに従って供養したもので、日本で最初の外人墓地です。

 

境内の一角にある「ハリス記念館」にはハリス、ペリー、米国への渡航を企てた吉田松陰、そしてお吉などの資料が展示されています。

特にお吉さんについては、ハリスに関わらされてしまった為に厳しい環境や境遇に追いやられ、、、歴史の裏に何とも言えない気持ちにもなりました。

  

下田到着の日はお天気に恵まれ快い海風と柔らかい緑の中のサイクリング!

豪華夕食、温泉もいい湯だね旅!ありがとうございました😊 

[KKさん]

 

       

      米黒船乗員墓地                  露艦乗員墓地


~引き続き観光ポタリング~

 

下田と云われて思い起こすことは、170年昔の黒船来航と唐人お吉の物語位しか有りませんでした。

しかし、今回の下田サイクリングのお蔭で、いっぱしの下田通?になった気分です。

天候の悪化を予想した幹事さん達の英断で、当初二日目に予定していた行程を初日に変更してサイクリングと観光を楽しみ、翌日は予想が的中してしまい傘をさしての街中散策になりましたが、これはこれで、じっくりと見て回ることが出来て、貴重な体験になりました。

 

玉泉寺を辞して下田駅方面に向かい、下田の街中の観光地をポタリングしました。

了仙寺(1635年に創建された日蓮宗の寺で、日米和親条約の交渉場所)~~ペリーロード(日米下田条約締結の為に黒船でやってきたペリー艦隊が上陸して了仙寺まで行進した道筋)~~欠乏所跡(下田開港で来航して来る外国船乗組員に薪・水・食料・石炭などの所謂「欠乏品」を提供し、その流れの中で「欠乏品供給」と称して交易が開始された場所)~~吉田松陰拘禁の跡(ペリー艦隊に便乗して海外に渡航する企てに失敗した吉田松陰と弟子が自首して一時拘禁された「長命寺」の跡)

これらの日本の大転換期、時代の流れを目にすることが出来、加えてプロのガイドさんに劣らぬほど周到な準備に基ずく幹事さんの場面に応じた適切な解説があって、大変有意義なサイクリング&ポタリングでした。

大満足で感謝!感謝‼ 

[NTさん]

 

 

~ホテル伊豆急でゆっくり温泉に浸かり、海の幸の料理で夕食会~

一日目のサイクリングを終えて伊豆急下田駅前に戻り、自転車を返却。

ホテルの送迎バスで15分ほどのところにある立派なリゾートホテル「ホテル伊豆急」が宿泊地です。

 

『一番は夕食』

海鮮料理のコースで、鮑に伊勢エビが出た夕食は、恐らく倶楽部のイベントで初めてではないでしょうか。

それ以外に三枚の引換券で寿司や揚げたての天ぷら等の追加の料理屋デザートが食べられる。時間が遅くなると品切れに。

地元静岡の日本酒などを注文して和気藹々とディナーを楽しみました。

 

『二番は露天風呂』 

全国から取り寄せた大きな岩が配置された露天風呂、説明図がある。温度も適温で、つい長湯に。

タオルが置いてあり、部屋から手ぶらで行けるのはありがたい。

前日までの二日間は「黒船まつり」で宿泊客が多かったと思われるが、この日は空いていてゆっくり温泉を楽しめた。

 

ホテルの前庭には大きいプールがあり、この時期は閉鎖していたが、夏は家族連れなどで相当混みそうなホテルであった。

 

コメント

一日目は快晴で風もなく、サイクリング日和で二日分を愉しんだ気持ち。

二日目は天気予報通りの小雨で、サイクリング止めて、徒歩での観光。

雨の中や路面が濡れているときは、スリップの危険があり、自転車を諦めて

良かったと思います。ゆっくり歩きながら、下田の街をよく見ることができました。

今回のような、一日半のイベントも余裕があっていいかもしれません。

下見をされた方々には、申し訳ありませんが、二日間を目いっぱい使うのも

高齢者には、そろそろ考えた方がとも、思いました。

[TNさん] 

 

★★2日目★★

残念ながら二日目は雨でサイクリングは中止。

ホテルでゆっくり過ごした後、送迎バスで下田駅まで行ってコインロッカーに荷物を預け、傘をさしての観光散策を楽しみました。

観光散策の行程(緑枠の個所は一日目のポタリングで訪問)

クリックすると画像を拡大できます。

 

~傘をさしての観光散策~

宝福寺・お吉記念館

「馬が飛び、お吉が眠る 幕末回天の寺」

先ず敷地に入ると、等身大だろうか竜馬の木像に目を奪われる。

1863年、海路移動中の土佐藩主 山内容堂が時化のため下田に上陸しここに滞在中に、同じく時化のため避難してきた門人の坂本龍馬を伴った勝海舟が、容堂の滞在を知り、龍馬が犯した脱藩の重罪の許しを請い許しを得ることが出来、まさに天馬となって飛翔し、幕末の維新回天の活躍が始まったとのこと。

 又、「唐人お吉」の菩提寺としても知られており、記念館が併設されている。

評判の美貌ゆえ奉行所の目に留まることとなり、17才でアメリカ総領事タウンゼントハリスのもとへ侍妾として奉公に上がったものの、世間の罵声と嘲笑を浴びながら、貧困の中に身を持ち崩し、ついには川に身を投じ51才の哀しい終幕でした。

お吉は身寄りもなく、宝福寺の住職が自愛の心で境内に手厚く葬り、その後は水谷八重子さんら芸能人により新しく墓石も寄進され、現在に至っているとのこと。

 

ペリーロード

黒船でやって来たペリー艦隊が、米下田条約締結ため、了仙寺まで行進したことから名付けられた通りで、なまこ壁や石造りの風情ある家並が続き、川辺には柳が揺れる情緒豊かな通りであり、かつてはお吉の小料理屋「安直楼」(あんちょくろう)もあり、さぞや賑わっていたのだろう。

また、了仙寺境内には「黒船ミュージアム」が設けられ、ペリー・黒船異文化交流をテーマとした3000点を超える国内最大の原本資料が収蔵されている。

境内には、今が盛りのアメリカジャスミンが、強い香りを放っていた。

 

先週の週末に「黒船まつり」が催されていたとのことで、通りには日米の国旗が下げられていて、ペリー、ハリスをはじめ、竜馬、山内容堂、勝海舟、松浦武四郎等の豪華キャスト登場に、改めて「開国の地 下田」に思いを馳せた。

 

生憎の雨天でサイクリングは中止、傘をさしての散策で少し早めの解散となった。  

[CYさん] 

この後小雨に濡れる下田の町並みを見ながらゆっくり歩いて伊豆急下田駅に戻りました。

 

駅前で打ち上げの記念撮影をして、下田での宿泊イベントを早い目にお開きにしました。

 

以上が参加者みなさんによるイベントのリレー報告です。

みなさんありがとうございました。

また写真の提供や写真の修正作業のご協力をいただきまして併せ御礼申し上げます。

  

 残念ながら今回サイクリング出来なかった「龍宮窟」「サンドスキー場」等のジオスポットを巡る行程はいつかみなさんとご一緒出来ればと思います。

 

一緒にイベントを担当いただいたMNさんとYMさんにはありがとうございました。

お二人から下見作業を含めての感想等をいただいて、本ブログもお開きにさせていただきます。

 

[MNさん]

二日目は残念ながら雨で出掛けられなかったが、下見の時は天気も良く「龍宮窟」と隣接する「サンドスキー場」まで走ってきました。

途中に小さな入り江がいくつかあり、ゆっくり来てみたい気分になるきれいな白砂の海水浴場や、波の浸食でごつごつした岩肌の海岸線などを見ることが出来ました。

「龍宮窟」は上部が波の浸食でハート形に穴が開いているジオスポットの一つの観光地で、バスで訪れた団体さんが洞窟の海岸部に降りて自然が作り出した景色を楽しんだり、洞窟の上部のハート形の穴の周囲を散策していました。

 

今回は行くことが出来ず残念でしたが、別の機会に石廊崎灯台にまで足を延ばす行程の計画を立ててみてはどうでしょうか(実は距離があるので計画から外しましたが、私たちは下見の時に石廊崎に足を延ばし試走してみました。途中の海岸線の景色は素晴らしくなかなかのサイクリングでした!)。

 

と言うことで二日目は町の中をゆっくり見て回ることができ、これも良かったなと思います。

途中で趣のある外観の老舗らしい干物店があり立ち寄って何枚か買って帰りましたが、とても美味で追加で宅急便で頼んでしまいました。

 

下田は東京からは遠いですが、下見とイベント本番と二回訪れてみて、ゆっくり過ごすにはなかなか良い所と感じました。

 

[YMさん]

プレ下見と周到な事前情報収集に基づく走行計画書と現地資料をイベントリーダーのYNさんから頂き、

下田イベントの実施予定日と同じ曜日である3月27日~28日の両日にイベント担当の私とMNさん、YNさんの3名で下見を実施した。

事前資料として受領した下田観光ガイドマップでは目的地への経路の近くの3ヶ所の遊歩道が自転車での走行が可能と思われた為、現地を確認したが、いずれも階段が途中にあったり、道が狭くかつ勾配やカーブがキツイ等、残念ではあるが当クラブのサイクリングには不適との判断に至った。

また、「ハリス記念館」のある玉泉寺では、たまたま、となりで見学されていた方から、米国黒船船員の墓所の他に、観光客が殆ど立寄らない露国黒船船員の墓所がある事を教えられたりもした。

下見で現地を確認することは重要だと改めて感じた次第。

下田イベントの初日(5/22)は何とか天気が持ったので爪木崎灯台迄のサイクリングとなった。

2日目(5/23)は雨天であった為、サイクリングは中止して、下田市内散策に切り替え、「唐人お吉記念館」のある宝福寺、吉田松陰拘禁の跡の碑、「黒船博物館」のある了仙寺を見学となった。

2日目の見学の中で次の二点が特に印象に残っている

①「唐人お吉記念館」の見学の際にCYさんに「唐人お吉の唄」{(歌)佐藤千夜子(作詞)西条八十(作曲)中山晋平}を歌って頂けた事。(因みに、この歌は青江三奈もカバーしている)

②「黒船博物館」でMNさんにペリーの帰国経路にあるマディラ島(大西洋の真珠と呼ばれている)訪問の思い出を伺えた事。

 

 

【YN編集】

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コメント: 1
  • #1

    KM (木曜日, 01 6月 2023 14:46)

    仕事が入り急遽キャンセルしてしまい多変ご迷惑をお掛け致しました。
    見どころいっぱい、美味しそうな夕食のイベントですね。
    参加できなかったのが返す返す残念です。