第282回八王子・浅川サイクリング

   行程

八王子子安公園集合 ⇒ 国道16号線と20号線を通り浅川サイクリング・ロードへ ⇒ 綾南公園から旧甲州街道経由高尾街道 ⇒ 八王子城址公園 昼食後ガイドさんと城跡見学  ⇒ 武蔵陵墓地(多摩御陵)参拝 ⇒ 追分交差点経由、子安公園に帰着

   参加者: 総数13名 (女性5名、男性8名)

 

   子安公園10時集合  自転車レンタル 準備体操の後出発

   浅川サイクリング・ロードを走る

   南浅川を離れ旧甲州街道を通過(入り口の標識と昔のままの道幅が残る旧街道。)

   高尾街道を抜けて八王子城址公園までの上り坂です。平均斜度3.5%、1.2Kmほどを全員完走。(90才のA.Uさんは、電動自転車に乗って3番目に到着。すごい!としか言いようがない。)

 高尾街道   八王子城址公園ガイダンス施設  A.Uさん(写真は別場所のもの)

   八王子城址公園 

□ ガイダンス施設で昼食後、八王子城址を見学しました。3班に分かれ各班に一人ボランティアのガイドさんに案内をお願いしました。

                子城(山城)の鳥瞰模型(本丸は真ん中奥の山頂)

   大手門跡から曳橋(再現)、御主殿につながる虎口(整備・復元)へ

    御主殿跡

一部再建された曳橋、御主殿跡の門などの他には、石垣、石畳そして建物の礎石が並ぶだけの城跡。しかしそこには、さまざまな歴史が秘められている。 

小田原北条氏の三代目、氏康の三男、氏照が滝山城(八王子市)からこの城に本拠を移してわずか数年後、天正18年(1590年)豊臣秀吉の関東制圧の一環で、前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城した。この八王子城落城が決め手となり、籠城を続けていた小田原城は開城、北条氏は滅亡した。

 

北条氏照が構想していた城郭は壮大な山城で、ガイドさんに案内して頂き、築城からその落城までの悲劇の歴史の話を伺い、遺構を訪ねて現地を歩くと、その城の歴史も規模も実感できます。今回は時間の制約上、城主北条氏照の館のあった「御主殿跡」など「居館地区」のみの見学となりましたが、山上の「要害地区」への案内もして頂けるそうです。本丸へは40分ほど歩いて登ることとなるそうですが、ぜひ後日訪ねてみたいところです。また10月に催される予定の北条氏照祭り(当時の装束を付けて、武者行列を再現)や、その他にもこの地での行事の話も伺いました。いろいろと興味ある話を頂いたガイドさん、ありがとうございました。

 

   武蔵陵墓地(多摩御陵) 参拝

参道には京都から移植された北山杉の見事な並木があります。

   綾南公園にて; 90才になるA.Uさんより、サイクリングのイベントには今回で引退する旨の表明があり、そのセレモニーが行われました。参加者それぞれが、A.Uさんとの長年の思い出を胸に、記念撮影を行いました。A.Uさん、長い間ありがとうございました。なお、今後もサイクリング以外のイベントには参加いただけるとのことです。

■ 追分(甲州街道と陣場街道)の交差点に帰途立ち寄り 

千人同心屋敷跡記念碑前で説明をするH.Kさん

   クール・ダウン体操 (八王子子安公園) その後、この場で反省会を行った。

反省会

この時期、「暑さ指数」と「晴天」の相反する条件を両立させることは非常に難しい。(実際、(この時期)実施の条件が満たされるのは“針に糸を通す程の難しさ”とのコメントをされている方もあった。)その状況下で、当日の天候は「曇天から小雨模様」。このため、気温も当初懸念されたほどには上昇せず、環境省の熱中症予防情報サイトによる「暑さ指数」が、「厳重警戒(オレンジ)」から「警戒(黄色)」のレベルまで下がった。

結果として、たまたま「それほどは暑すぎず、雨はせいぜい小雨」の状況が出現し、殆ど支障のない条件下で予定を最後までこなすことができた。しかし当日朝まで、実施か中止かの決断に、難しい判断を迫られた。

 

反省会では、このような状況に対し、いろいろな具体的条件案も出されましたが、熱中症予防の「暑さ指数予報」および「雨天の天気予報」に対し、イベント実施判断基準を作成してはどうかとの提案がなされました。

 

 

(A.N)

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コメント: 1
  • #1

    EF (土曜日, 23 7月 2022 14:56)

    3月からの延期のイベントで、役員の皆様には、大変ご苦労されたことと思います。
    でも、八王子城�、浅川サイクリング、とても楽しみました。今度は、桜の時期に走ってみたいです❤️